美空ひばりと山口組の関係とは?すると高倉健と山口組との意外な関係も明らかに!

2019年は昭和の歌謡界の大スター美空ひばりさんが亡くなられて没後30年となります。そんな美空ひばりさんが現在では考えられないが、あの山口組と関係があり、また俳優の高倉健さんも山口組とは関係があったそうなのです。今回はその関係と、またその背景にある事情について調べてみました。

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・美空ひばりのプロフィール

本名:加藤和枝(かとうかずえ)

生年月日:1937年5月29日

没年:1989年6月24日(52歳没)

身長:147cm

血液型:O型

出身地:神奈川県横浜市磯子区滝頭

美空ひばりさんは幼少の頃より両親の影響を受け歌が好きで、よく人前で歌っており、父の増吉が第二次世界大戦の出征となり壮行会が開かれ、父親のために歌を歌ったところ、壮行会に集まった人たちが感動し、涙する者もいたとのこと。

それに気づいた母・喜美枝は娘の歌唱力に人を引き付ける可能性を見出し、そこから地元のいろいろな場所で歌を披露していたという。

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・美空ひばりと山口組との関係

美空ひばりさんが神戸松竹劇場へ出演に際して、神戸の興行に関して影響力のあった暴力団・三代目山口組組長の田岡一雄組長のもとに挨拶に行き、そこでひばりさんの才能に惚れ込み田岡組長にとても気に入られたとのこと。そしてひばりさんは、田岡組長のことを「神戸のおじさん」というほど慕っていたそうです。ここから山口組と美空ひばりさんとの関係がはじまります。

ここで当時の時代背景としては、いまのようにセキュリティーなどの防犯が全く整ってなく、地方興行の際には、暴力団がいなければ、芸能人というのは何をされるかわからない状態だったといいます。

実際、ひばりさんは、1957年に浅草国際劇場で顔に塩酸をかけられるという事件が起こっており、犯人は熱狂的なひばりさんファンでしかも少女だったとのこと。幸いひばりさんは病院へ緊急搬送され入院されたとのことですが、命には別状なかったそうです。また顔を見る限り跡などもないので、ほんとに不幸中の幸いです。

そしてこの塩酸事件をきっかけにひばりさんは、田岡組長に助けを求め、山口組との関係が深まっていったそうです。

また、地方巡業の際にはかならずと言っていいほど地元を仕切っている暴力団がいたそうで、そこに挨拶にいかないと、とんでもない嫌がらせをされるようで、最悪の場合、公演すらできなかったとのこと。おそらくこれは暴力団にとっても大きな収入源だったようですね。

・山口組との家族ぐるみの付き合い

今はひばり御殿と言われている、美空ひばりさんの自宅は、当時警備会社などもないため、何回も泥棒に入られていたようで、そのため田岡組長に警備を頼みこみ、その結果山口組の若い衆を数名常駐させ泥棒対策をおこなったとのこと。

そして親交が深くなるにつれ、ひばりさんの弟である、かとう哲也さんは暴力団の世界に入り、拳銃不法所持で逮捕やひばりさんの自宅で賭博をしたために自宅の家宅捜索、また暴力事件などでも逮捕されてしまうのでした。

・高倉健と山口組との意外な関係とは?

今は亡き大物俳優・高倉健さんと言えば、とても男気がありまじめで、一見するととても暴力団と関係があるとは思えないのですが、実は今回美空ひばりさんと山口組との関係を調べているうちに、高倉健さんと山口組との意外な関係が判明しました。

高倉健さんと山口組とのつながりは、1950年代まで遡るのですが、当時高倉さんは美空ひばりさん主演の相手役として選ばれることが多かったようなんです。そして、ひばりさんは山口組の田岡組長に懇意にされていること、また 高倉さんが1959年に江利チエミさんと結婚することになるのですが、江利チエミさんと美空ひばりさんは親友だったらしく、女性同士が仲立ちをするかたちで関係が始まったそうです。そして実際、高倉さんの結婚式には田岡組長も列席されたとのこと。

ただ先ほども述べたように、当時の芸能界は暴力団とのつながりが強かったらしく、逆にそれなしでは仕事ができなかったようなんです。そしてその後、高倉健さんは、1970年代後半からは距離を置くようになっていきます。


「健さんの本質は読書や映画が好きなインテリで、もともとヤクザのような単純な『男の世界』にはあまりなじまないところがあった。任侠映画のスターということで、暴力団関係者との交友が増えていくことにも負担を感じていたんじゃないでしょうか。しかも、当時、東映のヤクザ映画が任侠シリーズから実録シリーズに移行して、ますます暴力団との関係が濃密になってきた。それに耐えられなくなって、独立へとさらに拍車がかかったような気がする。実際、80年代くらいからは、引退した信頼できる人をのぞいて、ほとんどの暴力団関係者とは縁をきっているはずです」

実際、後年の高倉の暴力団嫌いは有名で、高倉の死後、11月22日にビートたけしが『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS系)で明かしたとろによると、高倉は知り合いの暴力団組員に「そういう商売はやめなさい」と言って暴力団をやめさせ、付き人にしたということもあったという。

引用元:https://lite-ra.com/2014/11/post-663_2.html

とても意外に思ったことが、高倉さんは1998年に紫綬褒章を受章されるのですが、このときは山口組の人も高倉さんのイメージを傷つけないように気を使っていたのだとか。これは高倉さんの分け隔てなく接する態度から、厚い信頼が生まれているのでしょうね。

・まとめ

今回は美空ひばりさん、高倉健さんと山口組の関係までまとめました。これは意外と知られてない部分が多いのではないでしょうか?

それにしても昔は時代背景的に暴力団との絡みがなければやっていけなかったんですね、今ならすぐにニュースになってしまいそうです。

またこの内容に関しては別のエピソードとかもあるので、今後また記事にしていきたいと思います。

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